東京国立博物館のポンペイ展に行ってきました
ポンペイ展行ってきました。
「そこにいた。」っていうキャッチコピー……
あああああ、やめてぇえええええ……って思いますね……(いいコピーですね……)
写真可だったので、記録として貼っておきます。
音声ガイドは使いませんでした。(今ってアプリで課金して聞くというのもできるらしい。)
NHKで放送した『よみがえるポンペイ』(さっきNHKアーカイブで見た)+Wikipediaに書いてあったことも含めてメモ。
公式ブログもご参考まで。
ポンペイは、79年にヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流によって地中に埋もれたイタリアの古代都市。
2000年前の都市がそのまま残っている、考古学的に貴重な資料。火山灰などが湿気を吸収したため、美術品等が劣化せずに残っている。
18世紀くらいから断続的に発掘はされていたらしいが、金目のもの目当てだったりして、壁が壊されたりしている。
なんでポンペイだけ有名なのかなーと思ったら、火山に近い地域は溶岩に覆われて発掘が困難なのだそう。
展示は、映像が割とあって、わかりやすかったです。
ドローンで撮影した映像とか、CGとか。これは展示用に作成したわけではなく、『よみがえるポンペイ』の一部だったかも。
「アレクサンドロス大王のモザイク」を8Kで撮影したものが、原寸大で壁に映し出されていましたね。細部まで見られる。(写真は撮ってないです。)
テクノロジーの進化により、昔より展示がわかりやすくなるんだなぁ。
モザイクの細かさは、富の証。
中庭の再現とかもありましたね。写真撮らなかったな。
床にシートを貼って家を再現しているシーンもありました。
壁も再現してあって、そこに絵も展示。
こういうのはそのうちVRとかになるのかな。
さすがに写真が撮れなかったんだけれども、女性犠牲者の石膏像というのがありました。展示目録の1番最初が、これ。
体が朽ちて、穴として残るのだそうです。そこに石膏を流し込んで取ったものだそうです。(木製の家具でも同じように穴が残るようです。)
犠牲者の、最後の姿がわかるということです。
まさに、「そこにいた。」というわけで……。
どう亡くなったのかを知ることで、思いを馳せることと、当時のことを詳細に調べて生きていた証を明らかにしていくことで、死を悼むことにはなるのかなと思います。
骨とかどうなるのかな……と思ってたんですけれども、昔は取り除かずに石膏を入れていたのかしら。石膏により遺骨が損傷されて調査ができなかった、という記述を見たので。
最初の噴火では、火山灰や軽石が降ってきて、1日経った頃には2階の高さにまで軽石が降り積もっていたようです。(3mくらい。)
その後、火砕流が押し寄せ、一気に街を飲み込みました。火砕流の時速は100km以上らしいので、逃げられませんね。
丈夫な建物の中にいて火砕流に巻き込まれなかった人でも、火山ガスにより窒息したと思われます。
最初に噴火した段階で、逃げた人もいるのでしょうか。数年前に地震が起きて、街や家はまだ改修中だったので、お金持ちは別の場所に住んでいたかもしれませんが、使用人(奴隷)や家財道具や宝物も一瞬で失われてしまい、そのあとはどうやって暮らしていったのかなぁと思います。商才のある人なら、また一からビジネスしたかな。
ポンペイには、劇場があったようで。写真をいろいろ撮りました。
このあたりのことは、公式ブログにわかりやすくまとめられています。
あと、間取り図が好きでいろいろ撮ってしまった。
あと彫刻が好き。特に大理石。
なんで男性は全裸が多いのかな。筋肉美。写実的で素晴らしい。
こちらは、ポンペイではなく、エルコラーノからの出土。
第2のポンペイと言われる、ソンマ・ヴェスヴィアーナの展示も最後にありました。
こちらは2世紀にヴェスヴィオ火山の噴火により埋まり、東京大学の調査団が発掘をしているそう。ヴェスヴィオ火山の北に位置しています。
最後に。グッズでクッションにもなっていた、炭化したパン。
そのまま残っているのすごいですね。
ポンペイ展、東京は4/3(日)まで。