映画『カンタ!ティモール』見た
5/29に見た映画。
「カンタ!」は、「歌え!」という意味。
2012年の映画。存在は何年も前から知っていたのですが、監督の意向で自主上映会でしか上映していないらしくなかなか機会がなくて、すっかり忘れていたのですが、今回シネマチュプキタバタで上映しているのに気づき、行ってきました。
たまたま、監修の南風島渉さんのトークショーの日だった。
東ティモールのことはご存知だろうか。
わたしは名前しか知らなかった。
21世紀になってから独立した国だそうだ。今はティモール島の東側が独立国、西側はインドネシアになっている。
支配の歴史を簡単にまとめるとこう。
1701年、ポルトガルが全島を占領した後、オランダが西ティモールを領有
1859年、リスボン条約でオランダとポルトガルで東西ティモールを分割統治
1942年、日本軍が全島占領
第二次世界大戦後、ポルトガルによる東ティモール支配が回復
西ティモールはインドネシアの一部として独立
1974年、ポルトガルは東ティモールの主権を放棄
東ティモールの独立派と反独立派の対立が激化
1976年、インドネシア軍が独立派を制圧してに27番目の州として併合を宣言
しかし独立運動は続き、対立は激化
1999年、住民投票で約80%の住民が分離独立を選択
国連は、東ティモール暫定行政機構を設立
2002年、東ティモール独立
参考にしたのはこちら。
2002年に東ティモールを訪れた監督が、そのときに歌を教えてもらった青年に再び会うために、2003年に再訪。その時の映像が、この映画になっている。
その青年はアレックスという。若い頃から独立運動にかかわっており、密かにメッセージを込めて曲をつくり、子どもたちに向けて歌っていた。
独立運動は、市民のゲリラ戦だった。インドネシア軍が武力で圧力をかけてくるので、それに対抗するものだ。1999年に行われた住民投票の投票率はWikiによると98.6%、うち独立支持は78.5%だったとのことから、市民のほとんどがゲリラには協力的であったのであろう。それでも、まさか市民が独立を勝ち取るとは。
当然というかなんというか、インドネシア軍からはそうとう凄惨な圧力がかけられ続けたようで、家族や友人を殺されたとか、行方知れずだったり、遺体が戻ってこず弔ってあげられない、また女性は性暴力を受けるなど、誰もが何らかの被害に遭っている。
それでも彼らは、報復はしないのだという。どういうことかと思った。
たとえばインドネシア軍の捕虜を捕まえると、話をするのだそうだ。なぜ我々は独立したいのかとか、インドネシア軍は何をしているのかとか。そうして、無傷でインドネシアに返すのだという。
なんという聡明な作戦であろうか。というか、思いついても、やろうと思わないし、できないと思わないか。血気盛んな者が1人おっただけで、この作戦は簡単におじゃんになる。
この思想が市民ひとりひとりにまで浸透しているのだ。どういうこと???
元々の国民性というか、精神性として、備わっているのだろうか。
おそらく、アニミズムというか、宗教観というか世界観というか、そういうものの影響な気はする。
監督への質疑応答の中で、少しヒントがある。9:30あたりから。
相手を叩くのは、自分を叩くのと一緒、という宇宙観があるらしい。
個人的には癒しのシステムについても気になる。確実に傷ついてはいるはずだから、コミュニティによる癒しが必要なんじゃないかなって思うんだけれど。
こちらはわたしの見る前の週にあった広田監督のトークショーの記録なのだが、宗教観についても触れられている。
また、言語オタク的に興味深いことも載っていて、
「あなた」と「私」が一緒だから、「ありがとう」っていう言葉がない
「あなた」と「わたし」は、同じ単語だそう。だから、「わたしはあなたに感謝する」ということばがないのだと。「わたしたちふたりにいいことが起きてるね」という気持ちの共有が自然と起こっているのか……。
なるほどなるほど……癒し合いのシステムが、なんかもう根本的に備わってる気がする。
ところで、こうした運動には、必ず精神的に支柱となるリーダーがいるはずで、それが初代大統領になったシャナナ・グスマン氏である。
インドネシア軍に捕まり、刑務所に収容されたのだが、そこからもメッセージを発信し続けたのだという。
また、Wikiによるとそこにはネルソン・マンデラ氏などの訪問もあったようで、民族抵抗運動の最先端の情報は入手できていたようである。
この映画で非常に興味深かったのはやはり、ゲリラ戦もあったとは言え、武力に頼らない戦い方、報復をしないという精神性である。
ガンジーの非暴力・不服従だとか、キング牧師の公民権運動だとかそういった例はよく知られているが、東ティモールのことは知らなかった。
南風島氏のトークでは、いろいろとお話が聞けました。
独立前から現地に入って取材をしていたそうです。そうすると、危険を冒して独立派の人間が会いに来るのだそうです。この現状を日本に伝えてほしいと。外国の力がいるのだと。
実は、日本はインドネシア側だったんですよね。Wikiより引用。
1976年7月17日、インドネシアが27番目の州として併合宣言を行った。国連総会ではこの侵攻と占領を非難する決議がただちに採択されたが、日・欧・米・豪など西側の有力諸国は反共の立場をとるインドネシアとの関係を重視し、併合を事実上黙認した。
インドネシアは石油開発とか、まぁ、いろいろと。
そのあたりのことはこの本にもたぶん書いてあるんだろうと思います。あとで読んでみようと思います。
ところで、この映画の中心人物であるアレックスは、2017年に心臓発作で亡くなったそです。1978年生まれだそうなので、40歳手前かと。若い頃の活動で拷問を受けたりしたことが、心身に何かしらの負担を与えていたのでしょうか。
こちらは追悼の会の様子。
アレックスの言葉が書かれたカードを、上映後にいただきました。
興味を持たれた方は、機会があればご覧ください。
上映会スケジュールは、公式サイトにのっています。
また、もちろん上映会の主催も可能ですよ。