映画『Coda コーダ あいのうた』見たら爆発しそうになった
アカデミー賞の作品賞取った「コーダ」を、たまたま賞取った日に見てました。
これいい話になってるけど、広義のアダルトチルドレンが見たら爆発するんでは……と思いました。なおわたしは何度か発狂しそうになった。
家族といえども愛情が擦り切れる前に離れたほうがいい関係もあって、現実的にはそのタイミングは18歳くらいになるんだろうけど、それで間に合ってたかどうかは、人生の後半にならないとわからないかもしれない。若いうちは、体力で精神的なものもなんとかなっちゃうもの。
CODA=Children of Deaf Adult/s
きこえない・きこえにくい親をもつ、きこえる子どものこと
主人公はきこえない両親と兄を持つ女子高生。(兄は読唇はできるっぽいが)必然的に子供のころから世界と家族の通訳者の役割を担うことになる。
また父は漁師で、彼女も朝3時に起きて、父と兄とともに漁船にのり、時折監視の無線に答え、卸業者と値段の交渉をし、それから学校に行くという毎日。
それが高校の歌の先生に見いだされ、音楽大学を目指そうとするのだが、という話。
お父さん役が助演男優賞取ってたけれど、お兄ちゃんもよかったなぁと思うんです。
妹が大学進学を諦めようとしていて、怒ってたところ。妹が家族の犠牲になる必要はないと本気で思っていて、自分が妹より頼られていないという葛藤、きこえないからといって恰好が悪いわけでも能力が劣るわけでもないという世間へのいらだち……手話が第一言語の人の表現に圧倒されました。
あと歌の先生が、主人公の歌の力を引き出そうとするところがよかったなぁ。「抑えるな!」って何度も言ってたんだけど、怒りを補助として、身体に働きかけていた。それわたしにも覚えがあるので爆泣きした。
母親が、「ベイビー」が遠くへ行ってしまうと言っていたのだが、父親は、昔から「大人」だった、という趣旨のことを言っていて。
それな、である。
コーダはかなりマイノリティな環境だろうけど、子どもが幼いときから子どものままではいられなかった、大人がするような役割をしなければならなかった家庭環境っていうのはそれ以上にあって、例えば親が病気していたりとか、夫婦仲が悪くて子どもが気を遣って取り持っていたりとか。
父親はそのことには自覚的だったみたい。母親は無自覚に頼っていたけれど。
そういう風に、子どものころに子供ではいられずに育ってしまうと、なぜかわからないけど生きづらい……(でもそれなりにはこなせてしまう)という生き方になることがままあって、本人は割と大変。
家族関係、いろんな組み合わせがあるけれど、いちばん厄介なのって母娘じゃないのかな。と思うのは、わたしが娘だからかしらね。
合唱部のコンサートには家族が見に来てくれたのだが、聞こえないのでさっぱりわからない。今日の夕食の話を手話でしている。
ただ周りの反応で、娘の歌はどうやら素晴らしいのだ、ということがわかる。
娘の歌のとき、途中で無音になった(きこえない世界になった)の愕然とした。こういう世界なんだ。
きこえるのときこえないのでは、そもそも培ってきた身体感覚が変わってくるという。目線なんかも違うそうだ。きこえると、音のする方つい見ちゃうけど、そういうのはないよね。
コンサートのあとお父さんが、娘の歌を聴こうと、喉に手を一生懸命当てて聴こうとしてるところも泣きましたが、「どういう歌なんだ」と娘に尋ねていて、あぁ、と娘と一緒に思ったわたし。見に来てくれるなら歌詞だけでも先に渡しておくべきであった。(と主人公に同化するわたし。)
最終的に、家族が受験の歌を聴きにきていて、手話付きで歌っていたところがいちばんいい歌だったなぁと。
英語ペラペラくらいのレベルで手話できないと、もちろん形を覚えてやることはできるんだけど、それでコミュニケーションするには問題ないけど、生きた表現とはまた違うんだろうなと思いました。
あとお父さんは最後、旅立つ娘に「Go」って音声で言ってたのよね……いま発話したね!?って気づくのに数秒かかった。日本語だとどっちも字幕出るからね…。
主人公は発音をばかにされることがあったらしく、よく聞いてみたのだけれど、そういわれれば発音はちょっと甘い気がする…と思ったけどよくわからなかったな~
言語は好きなのに、他言語を勉強するの苦手すぎて何度も挫折してるんだけど、またコツコツがんばろうかなと思いました……もはや挫折するの織り込み済みでまた何度でもやり始めるという方向で……